田中産業株式会社代表取締役
田中太郎様

斉藤電気中山
康弘

拝啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

さて、先日はご多忙の中、ご丁寧にお見舞い状をいただき、まことにありがとうございました。
入院期間中、御社には大変ご不便をおかけいたしましたこと、お詫びいたします。
今後とも、末永いお取引を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

営業車を運転している際にトラックと衝突し、「右足骨折。全治2ヶ月」との診断でしたが、来週から会社に復帰する予定でございます。
復帰後改めてご挨拶に参りたいと存じますが、まずは書面をもちましてお礼申し上げます。

敬具

1. この文書は何のために書かれたものか。

1. 入院のお見賀いのため

2. 事故の報告をするため

3. お礼とお詫びを言うため

4. 新しい取引を始めるため

平成24年7月30日
株式会社〇〇
商事総務部人事課 山田太郎様


拝啓
貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて私は、△△大学文学部英文学科の鈴木陽子と申します。
この度は、平成24年7月25日付け貴信により面接のご連絡をいただきまして、誠にありがとうございました。
8月10日(金)午後2時より面接のお時間をいただいておりましたが、誠に勝手ながら辞退させていただきたく、ご連絡申し上げました。
第一志望の会社より内定をいただいたことが理由でございます。
ご多忙のところ日程を設定していただいたにも関わらず、誠に申し訳なく、心よりお詫び申し上げる次第です。
何卒ご了承いただきたく、お願い申し上げます。


敬具
鈴木陽子

2. この文書によって筆者が伝えたいことはどれか。

1. 面接の日時を変更してほしい

2. 面接をキャンセルしたい

3. 内定を辞退したい

4. 採用が決まったのでお礼を述べたい

① 家庭と社会とでは何が違うと子どもたちに認識させればいいのか。近代において「社会に出る」の実態は、たいていは就職を軸として、「依頼に基づいて結果を出す」ことの繰り返しです。このシミュレーションは確かに家庭内でも行なうことはできます。しかし、個人や世代が固定されていることが、家庭のありがたさであり、また弱みでもあります。

社会に出て仕事を進めていくとき、最も肝心な能力は、異なった世代や異なった分野の人たちと手抜かりなくコミュニケーションを図る力です。家族や同級生と「うまくやってきた」からと言って、世代の異なる上司や「外側」の取引先と「うまくやれる」とはかぎりません。同期や後輩とならば、内弁慶でも円滑にコミュニケーションが図れるでしょう。

しかし、面接試験で学生が「たくさん友人がいます」とか「テニス部の副キャプテンでした(笑)」とか「コミュニケーションには自信があります。ゼミでも合コンでもリーダー役をこなしてきました(古い)」という類の自己PRが、上の世代に ② ちっとも実社会をわかってねえなと直感されがちなのは、考えてみればあたりまえです。異なった世代や異なった組織の人たちと円滑にコミュニケーションをとることと、仲の良い同世代と楽しく過ごすこととは、全然違います。どちらがラクだとかムズカシイとか、そういう問題ではありません。前者は「依頼」「条件」「納期」がなければ成り立ちえず、後者はそうではない、というのがその本質的な差異です。一緒にいるだけで意味のある集団というものは、確かにあります。逆に、依頼に対して充分な結果を出せるのであれば、組織に属しているかどうかはどうでもいい問題。

では、どうしたら「異なった世代や異なった分野の人たちと手抜かりなくコミュニケーションを図る」力を、社会に出るまでにつけてあげられるか。もちろん、子どもが自分で徐々につけていくしかないのですが、親としてそれを妨害せず、あるいは支援するにはどうしたらよいか。現代では同年齢集団教育だけが突出しており(学校でも塾でも地域スポーツでもそうです!)、異世代(親や祖父母や教師や部活の先輩後輩)はみな固定されています。社会や会社は、そうではなく、「いろんな人」がいて、しかもその構成はめまぐるしく変わるわけです。しかし、実社会ではプロレスで技を競うわけではありません。腕力が仕事である場合も特殊にはありますが、たいていはコミュニケーションによって「依頼」から「納品」までをこなしていきます。CMづくりもそうですし、タクシーでの客輸送もそうです。

このように、「仲間内でのコミュニケーション」と「仕事がらみのコミュニケーション」は、全然違います。したがってこのギャップを埋めるために親は、子どもに ③ 大人の会話をできるだけたくさん聞かせたほうが良い、という結論にならざるをえません。話すのが苦手だという大人も少なくないでしょう。それぞれ無理のない範囲で工夫すればいいのです。自分を偉くみせたい、というのは止めたほうがいいでしょう。偉くない人は、偉く見えません。肝心なことは、大人の会話はおもしろそうだ、と子どもたちが思い始めることです。

しかし現状では、学校では教員同士の議論は生徒たちに隠され、家庭ではローンのことや教師の悪口も伏せられがちです。これからは、そういう陰険な“配慮”はできるだけ控えましょう。大人が勝手に「恥ずかしい」と決めて隠すことは、子どもたちが大人の生の会話から学ぶ機会を奪うことになってしまうからです。

3. 家庭と社会とでは何が違うとあるが、筆者は社会と家庭の違いはどこにあると言っているか。

1. 社会におけるコミュニケーションは利害関係を伴う場合が多いが、家庭では利害関係は絡まない。

2. 社会は、コミュニケーションをとらなければならない相手の範囲が家庭よりはるかに広い。

3. 家庭では言わなくても通じることでも、社会では言葉にしてコミュニケーションをとる必要がある。

4. 家庭や仲間の間では弱みを見せられるが、社会では見せることはできない。

4. なぜ、上の世代は ② ちっとも実社会をわかってねえなと感じるのか。

1. 遊んでばかりいたと白状していることに気付いていないから。

2. コミュニケーションの質に差があることに気付いていないから。

3. 実社会では謙遜が大切で、自己PRは控えるべきだから。

4. 今までのコミュニケーションはシミュレーションにしかすぎないから。

5. ここでいう ③ 大人の会話とは、どのような会話のことだと考えられるか。

1. 生活の現実に即した話

2. 恥ずかしくならない話

3. 明るくおもしろい話

4. 依頼や条件、納品に関する話

6. 筆者は、大人が子どもにしてあげられることは何だと考えているか。

1. 仕事の話を家庭に持ち込まず、子どもが安心して学べる環境を作ること

2. 社会に存在する異世代や分野が違う人たちと接する機会を与えること

3. 家庭でも、「依頼」から「結果」が出せるような仕事を与えること

4. 大人が社会生活で普通にしている会話を、子どもに隠さないこと

2009年東京の明治大学が漫画中心の図書館を開設しました。漫画本は主に漫画評論家が寄付したものだそうです。今後、漫画だけではなく大規模なサブカルチャー図書館を設立する計画もあるそうです。

図書館には1日50人ほどが訪問しているそうです。明治大学の関係者は無料で利用できます。また一般の人にも開放されていますが、こちらは18歳以上の人であれば会費6000円(1年間)または2000円を支払うことで利用可能となっております。

開館は月曜と金曜の午後2時から8時までと土曜、日曜、祝日の昼12時から6時までです。今後海外の漫画ファンが大勢訪れることは間違いないです。

7. マンガ図書館を利用できる人は誰か。

1. 木曜に来た会費を払わない明治大学の学生

2. 6000円払って土曜日の1時に来た12歳の女の子

3. 2000円払って月曜日の3時に来た中年のおばさん

4. 年会費を払って日曜日の午前中に来た老人

60年ほど前、児童心理学者シャーロット・ビューラーは、子どもが自分にできるようになった力を用いることに喜びを見出し、その力によって様々なことを発見し、育つことの重要性を指摘しました。彼女はこれを「機能の喜び」と名づけていますが、自分の力(機能)を使うこと自体が子どもにとって喜びであり、それによって学び、育つという、人間の発達の本質をいい得て妙だと思います。

代は、この「機能の喜び」がとかく無視されているのではないでしょうか。親は「良育」にせっかちなあまり、子どもが熱中していることに我慢できないようです。遠回りにも時間の無駄にもみえるのでしょう。そのため、自分の考える ① 「よかれ」の計画路線に子どもを歩ませようとします。

(中略)

「機能の喜び」を味わう機会の減少は、自分が学ぶ力をもっていることについて知る体験を子どもから奪うことでもあります。同時に、子どもの自己効力感を育てる機会を奪っています。日本の子どもたちは、ある程度の能力をもっていても自信をもてない傾向が強いのですが。自力達成の機会の少なさも一因でしょ、親の過剰な教育熱がかえって、子どもが自ら育つことを疎外してしまっているのです。その意味でも、「②どもの発達権」の保障は急務です。

(注)いい得て妙:実にうまく言い表している

8. 「よかれ」の計画路線とはどういう意味か。

1. 子どもの性格に合った学習プラン

2. 親として安心できる進学先

3. より早く物事を進めるやり方

4. いい結果になるであろう道筋

9. 筆者は、現代の親にはどのような特徴があると述べているか。

1. 多忙で常に時間に追われ、子どもとのコミュニケーションを後回しにする。

2. 育に熱心なあまり、子どもの意思を尊重することを忘れてしまう。

3. 子どもへの期待が高く、子どもが何かを遅成できてもあまり褒めない。

4. 子どもの教育を一番に考え、自分の趣味などに時間を費やすことがない。

10. ここで言う、 ② 子どもの「発達権」の保障とはどういうことか。

1. 子どもの力を信じ、成功体験の機会を失わせないようにする。

2. 子どもが何かに熱中できるように、たくさんの習い事をさせる。

3. 子どもが自分に自信が持てるように、先回りして手助けする。

4. 子どもと過ごす時間を増やし、子どもへの愛情を欠かさない。

コミュニケーションは、響き合いである。 ① 「打てば響く」という言葉がある。ひとこと言えばピンときてわかってくれるということだ。鐘を撞いたときに、ゴーンと鳴り響く。あの振動の感触が、コミュニケーションの場合にもある。二人で話しているときに、二つの身体が一つの響きで充たされる。そんな感覚が、話がうまくできているときに訪れることがある。これはそれほど奇跡的なことではない。

私たちは言葉でのやりとりをコミュニケーションの中心だと考えがちだ。しかし、言葉を使いはじめる以前までの膨大な時間、人類は存在してきた。その間にもコミュニケーション当然成り立っていたはずだ、集団で暮らしている状態でコミュニケーションがないということは考えられない、動物園の猿山を見ていると、② それがよくわかる。

猿山にはコミュニケーションがあふれている。あちらこちらで、もみ合いが起こっている。誰かがトラブルを引き起こし、また別の猿が加わって事態をややこしくさせる、感情をむき出しにして相手に伝え合う。自分の思いをそれぞれが通そうとする。思いがぶつかり合い、身体がもみ合うことで、現実が推移していく。ここには人間の使うような言語はないが、コミュニケーションはふんだんにある。

猿山の別の所では、母猿が小猿のノミ(注)をとってやっている。母親の指先の動き一つひとつが、小猿の心を動かしている。猿山の中でそれぞれが居場所を見つけ、時折移動しては関わり合う。この距離感覚自体が、コミュニケーション力なのだ。

響く身体、レスポンスする身体。この観点から猿山を見ていると、猿の中には冷えた響かない身体は見つけられない。一人で部屋に閉じこもってテレビを見たり、パソコンをいじったりする空間がないこともその一因だろう。推測だが、一人でこもることのできるきわめて快適な環境を与えたとすれば、そこに引きこもり続けた猿は仲間と響き合う身体を徐々に失っていく。だろう。使う必要のない筋肉や能力は衰えていく。使わなければ、力は落ちていく。

言語的コミュニケーションは、身体的コミュニケーションを基盤にしている。動物行動学の研究は、動物たちが身体的コミュニケーション能力にあふれていることを教えてくれる。人間は言語という精緻な記号体系を構築した。それによって高度な情報交換が可能になった。しかし、そのー方で、身体的コミュニケーションの力が衰退する条件ができてしまった。

(齋藤孝『コミュニケーション力』岩波書店による)
(注)ノミ:ほ乳類や鳥類に寄生する小さい虫

11. コミュニケーションは、響き合いであるとは、どういう意味かか。

1. スムーズなコミュニケーションとは、鐘を撞き合うようにテンポよく言い葉が交わされることだ。

2. コミュニケーションの中で発する言葉は、鐘が鳴り響くように相手に強く影響を与えることがある。

3. コミュニケーションでは、「打てば響く」ように相手の言葉に的確に反応し合うことが大切である。

4. コミュニケーションを通して、鐘の響きを感じるように相手と共感し合い、一体感を感じることがある。

12. ② それとは何か。

1. 言葉なしでも集団ではコミュニケーションが生じること

2. 人類のコミュニケーションが言葉に依存していること

3. コミュニケーションをとらなければ集団では暮らせないこと

4. 言葉を使い始める前にも人類が確かに存在していたこと

13. 猿同士のコミュニケーションにはどのような特徴があるか。

1. お互いが感情をむき出しにするので、常に激しいものになる

2. 適度な距離感を保ち、必要最小限のコミュニケーションをとる

3. 言葉はないが、自分の意志や感情を身体全体で表現する

4. 他者と頻繁に接触するため、人間よりコミュニケーションの量が多い

14. ③ 条件とはどういう意味か。

1. 言葉というシステムと、身体的な機能の低下

2. 言葉というシステムと、そこから発展した高度な通信技術

3. 言葉という便利なものと、争いの少ない社会

4. 言葉という便利なものと、他者とかかわらなくて済む環境

日本の建築は寿命が短いが、建て替えは木造自体の耐久性によって決まるのではない。木造建築でも百年や二百年は持つし、千年以上持たせることも可能である。ただし、構造部材のメンテナンスが必要なので、耐久性を考えると大材を用いたほうが良い。しかし、城郭や宮殿、邸宅、寺院仏閣の類でなければ、なかなか大材を用いることはできない。大材の入手は難しく、加工にも手間と時間がかかる。また、一般的に木造建築は火事や地震で失われることも少なくない。

日本人は白木の新しい建物を愛好するが、時が経つと木の表面が黒ずんでくる。そこで、余裕がある者は、地震や火災に遭った際はもちろん、ある程度老朽化してくると建て直し、周囲はその建て主を「甲斐性がある」と褒め称えた。しかし、建て直すといっても、大まかに言えば元の建物と同じものが建つ。多少大きくなったり小さくなったり、間取りが変わったりすることはあるが、外観に大きな違いはない。そのため、街並みや風景は長期にわたって維持される。しかも、木材はリユースやリサイクルされる。

これは、日本独自の「更新の文化」と呼んでも良い。その典型が伊勢神宮である。二十年ごとに隣接する敷地に交互に建て直されるが、建てられるものは全く同じである。建物を更新するためには木材が必要であり、樹木も植林によって更新される。若木のほうが二酸化炭素の吸収能力に優れているため、若木への更新は環境面でも評価できる。同時に、職人の技術も更新される。更新は環境に優しく、人々に仕事を与え、ゆっくりとした変化をもたらす「木の国」の優れた文化である。

15. 日本の建築は寿命が短いとあるが、なぜか。

1. 木材自体に耐久性がないため、メンテナンスが難しいから

2. 建築に適した木材の入手が難しく、修理もあまりしないから

3. 木造建築は老朽化が早いだけでなく、火事や地震にも弱いから

4. 丈夫な木材があまり使えないうえ、災害で失われることもも多いから

16. これは何を指すか。

1. 建物が老朽化してくる同じように建て直すことで、外観が保持されること

2. 建物が老朽化してくる外観を全く変えずに建て直すことで景観が維持されること

3. 建物が老朽化してくる、材料を再利用して同じ間取りに建て直すこと

4. 建物が老朽化してくる、景観の維持を優先して見た目を変えずに建てすこと

17. 筆者は、木造建築が更新されることにはどのような利点があると考えているか。

1. 質の良い木材の入手がようう容易になるだけでなく、職人の技術が向けする。

2. 樹木の生育に合った条件が整う上、美しい街並みも守られる。

3. 植林が進むので環境によい上、職人の技術も受け継がれる。

4. 木材の供給が安定するだけでなく、美しい風景が守られる。

「ロハス」は原産地がはっきりしている。アメリカである。Life-styles of Health and Sustainability-健康で持続可能性のあるライフスタイル―の頭文字をとった造語である。環境問題の用語になじみにくいものが多いのは、それに取り組むのがいつも後手後手で外来の研究や思考に頼らざるをえない日本の姿を反映しているが、なかでも頭が痛いのは、このSで始まる語になかなかよい訳語が見付からぬことである。しかも、このsustain(支える、維持する)という言葉は環境問題を考える上での、いちばん中心にある概念なのだから、厄介である。環境が維持できる可能性(sustainability)の範囲内に人間の営みを限ろうというのだから。

こんな目に遭わねばならないほど、私たち日本人は昔から自然環境に無関心、無頓着(注)だったのかとゴえば、歴史的、文化的に見るとそんなことはない。その証拠のひとつは、環境分野で初のノーベル平和賞の受賞者、ケニアのワンガリ.マータイ女史が世界に広めようとしている「もったいない」という言葉である。柳文字好きのわが政府がやっている運動を外国人が日本語で表現したことが(本人にはその意図はなくとも)何とも皮肉であるが、もっと皮肉なのは、「もったいない」が原産地ではほとんど死語と化していることだ。

かつて雑誌の編集長をしていた私は「今どきの若者」を表現する意味で、「新人類」という語を世に送り出したことがある。ほとんどジョークのつもりだったのが、若者への違和感を深めていた「旧人類」たちにアピールしてしまい、流行語になった。“発信元"の編集部には、「新人類」の定義、リスト、年齢などの資格要件などについての問合せが相次ぎ閉口(注2)した.その時、私が「新」と「旧」とを分ける分水嶺(注3)として用いたのが「もったいない」だった。食うや食わずの幼時体験があって、「もったいない」と思わず口にする世代と、大量生産、大量消費の時代に育って「消費は美徳」と刷り込まれ、「もったいない」という言葉を知らない世代。それが分かれ目だと説明したのである。

マータイさんが古い日本語を復活させてくれたことに感謝したいところだが、「もったいない」には3R(注4)どころか「持続可能性」に通ずるものがある、もともと日本人の持っていたが消えていったということは、① それが示していた内容が消えたということであるそれはこの語を知らない人たちのせいというよりは、その語を忘れようとした人たちせいだろう。とにかく、「忘れた世代」と「知らない世代」とが、ともに大量生産、大量消費、大量廃棄の、今日に至る私たちの社会を作ってきた。そこに新旧の別などなく、多くの流行語が ② そうであるように、「新人類」などというのはまことに軽薄、軽率な造語だった。
(筑紫哲也『スローライフ』岩波書店による)

(注1)無頓着:気にしないこと

(注2)閉口する:困る

(注3)分水嶺:雨水が異なる水の流れに分かれる境界、物事の分かれ目になるところ

(注4)3R:リサイクル(Recycle.再資源化)、リユース(Reuse、再使用)、リデュース(Reduce.ごみを減らす)の3つを指す環境用語

18. 筆者が述べていることと合っているのはどれか。

1. 日本では新しい分野の研究はいつも海外から取り入れたもので、環境問題についても同じことが言える。

2. 日本の環境対策は進んでおり、そこで使われる用語の中には外国語に訳すのが難しいものも多い。

3. 日本人の自然環境に対する意識が低いのかというと、そうでもなさそうだ。

4. 日本は新しい分野の研究でいつも外国の先を行っており、環境の分野でも先進的である。

19. ここでは、「もったいない」はどのような言葉として述べられているか。

1. もともと日本語だが、現代の日本ではあまり使われなくなっている。

2. 世界に広まった日本語のつだが、環境先進国のアメリカではあまり知られていない。

3. ケニアの伝統的な考え方を日本語で表現した造語で、今、世界に広まりつつある。

4. 日本政府が環境政策のPRにキャッチフレーズとして使い、それをケニアの学者が世界に紹介した。

20. それが示していた内容とは何か。

1. 食料不足による飢えの体験     

2. 消費をよしとする考え方

3. ものを大量に生産する社会

4. ものを大事にしようという意識

21. そうであるとはどのような意味か。

1. 世代の新旧には関係がない

2. 軽い気持ちでつくられ、中身がない

3. 世代の新に注目してつくられる

4. 現代社会の特徴を表している

「今やることをすぐやる」のは理想だが、やるべきことはつねに複数並行しているもの。優先順位を考える必要がある。つまり、やるべきことをリストアップし、それらに取り組む前にざっと段取りを組み、スムーズかつスピーディーに進める策を頭に入れておかなくてはならない。でないと、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と気持ちがあせるばかり。思いつくまま手をつけて効率を下げるどころか、何をどの順番ですべきかわからなくなり、何もせずに時間を無駄づかいすることにもなりかねない。

(斎藤茂太「グズをなおせば人生はうまくいく」大和書房)

22. 時間を無駄づかいすることにもなりかねない」のはなぜか。

1. やらなくてはいけないことは常に複数あり、同時進行てあるから。

2. リストアップャ段取りをし、すぐに策を考えなにてはいけないから。

3. やるべきことをすぐにやれば。効率を下げることはなくなるから。

4. 優先順位を考えて行動しないと、結果的に何も手につかなくなるから。

「仲が良い家庭」は理想的なようで、一歩間違うと「崩壊した家庭」につながる危うさがある。

特に、父親が、社会の厳しさを教え、子どもに社会化を促すという父親本来の役割を果たせないと問題である。子どもの社会的自立には、実際の父親ではなくても「父親」の役目を果たす人が不可欠である。

ある人が家庭を航海中の船に例えて言った、嵐が来たら、子どもがいくら「こっち来て」と頼んでも、子どもを放っておいて必死に舵取り(注)を続けなければ船は沈む。それなのに、舵取りを放棄して子どもの機嫌を取る親が多いと。

このような「父親」の不在が、最近、日本の家庭で増えているように感じるのは気のせいだろうか。

(注)舵取り:舵(船の進む方向を決める道具)を操作して、船を定の方向に進ませること

23. ここでいう「父親」の不在とはどういうことか。

1. 父親が、仕事で忙しく、家庭にいる時間が少ないこと

2. 家庭が崩壊し、父親が家からいなくなること

3. 父親が、子どもに甘い顔をするばかりで、自分の立場を忘れること

4. 思春期になった子どもが父親を無視するようになること

「俺は料理が得意なんだ」と自慢げに語る男性の頭に、素材の値段やかかる時間、そして誰が後片付けをするか、などという問題は存在しません。

あくまで趣味なのですから、高価な肉や滅多に使わない香辛料を駆使し、無駄をいっぱい出しながら料理をするのです。

そして使い散らかされた道具を洗うのは、奥さんだったりする。

24. 筆者は男性の料理をどう思っているか。

1. 無駄な努力である。

2. 家族を満足させている。

3. 実用的ではない。

4. 自立のために不可欠だ。

「希望」とか「絶望」とか、あるいは「後悔」とか、そういう言葉を心理学辞典で引いてみたことがあるだろうか。そんな日常的な言葉などわざわざ引くまでもあるまいと思うかもしれないが、実際、心理学辞典をいろいろ見てみたら、そもそもそういった項目がのっていないのである。そんな言葉は国語辞典の領分であって、心理学の辞典にのっていなくても当たり前だということだろうか。

しかし、それは空ではないか。私たちの日常の心理現象の中で希望や絶望、未練や後悔は大事なもので、だれにとっても非常に大きな問題であるはずだ。それが心理学の辞典にのっていない。つまり、心理学の対象にされていないのである。それは、なぜか。―つは、人を外側から捉えようとする視点の問題がある。つまり、現代心理学は、いわば「他者の心理学」に徹しているかんたんに言えば、子どもの発達を研究するとき、子どもの外に視点を置き、そこから子どもに「生後何歳何カ月」といった時計的な時間の物差しを当てて、その育つ過程を観察する。しかし、そうした見方からは、子どもが昨日の体験を抱え、明日に向かって、今を生きるという、子ども自身の主体の世界は見えてこないのではないか。

だれもが生まれてから死ぬまで、時の流れの中を生きている。その時の流れの中に身を置いた視点からしか見えてこない主体の世界がある。それを研究の枠から外しておいて、人間の心をとらえることはできないのではないか。私はそう思う。だが、主観の世界などというあいまいなものは相手にしないという立場をとる現代の心理学は、結局、外から客観的に観察することの可能な「他者の心理学」に徹して、そこから出ようとはしない。とすれば、そこでは希望とか絶望とか、そういう概念が問題にならないのは当然だろう。

もう一つは、科学そのものの問題である。自然科学は現在の「現象=結果」を過去の原因に結び付け法則化する学問である。心理学も科学である以上、この「原因 → 結果」の枠組みから逃れられない現在の心理をすべて過去によって説明しようとする。しかし、そうなると、私たちの心的世界の多くを占めている「明日」とはいったい何なのだろうか。

人間を外から観察して未来を予測するだけならそれでいいかもしれない。しかし、その人間を内側から見たとき「明日」は単なる予測の対象などではない。明日は、私の中で希望として、絶望として、あるいは不安として、期待として現象するのだ。

こうしてみれば、心理学辞典に「希望」がないわけははっきりする。今の心理学が「希望」を語る枠組みを持っていないからにほかならない。生物学辞典のどこを見ても「希望」がないのと同じなのである。

(浜田寿美男『意味から言葉へ』ミネルヴァ書房による)

25. ①「それは空ではないか」とあるが、筆者は何が変だと言っているか。

1. 日常的な言葉の意味を心理学辞典で引いてみること

2. 国語辞典にのっている言葉が心理学辞典にないこと

3. 重要な心理現象を表す言葉が心理学辞典にないこと

4. 心理学の対象である言葉が国語辞典にあること

26. ②「視点の問題」とあるが、どういうことか。

1. 現在心理学は客観的に人を捉えるが、それでは人間の心が見えないのに変えようとしないということ

2. 現在心理学は人を外側から捉える立場と、内側から捉える立場の中間にあり、視点があいまいだということ

3. 現代心理学は、あいまいな主観のせかいを捉えようとして客観的な立場に徹することができていないということ

4. 現在心理学は、客観的に人を捉える視点に立ちながら、主体的な世界も見ようとして矛盾しているということ

27. 筆者は、③「心理学辞典に「希望」がないわけ」は何だと言っているか。

1. 生物学辞典にない言葉は心理学辞典にもないものだから。

2. 「希望」は現代心理学では予測ができない未来のことだから。

3. 「希望」は科学的に重要ではない主観的な現象にすぎないから。

4. 人を内側から見ない現代心理学に「希望」は説叨できないから。

28. この文章で筆者が言いたいことはどれか。

1. 現代心理学が日常的な心理現象を研究の対象としないのは、心理学も科学である以上、仕方のないことである。

2. 現代心理学は、科学的な立場と主観的な立場との中間に立って、そのバランスを維持することが重要である。

3. 現代心理学が人間の日常的な心理現象を理解するためには、人間の主観的な世界も研究の対象とするべきである。

4. 現代心理学は、内側の心理現象という人にとって大事な問題を無視してきたので、今後はこれを中小に研究するべきである。

「疲れましたなあ」 と、同行のTさん(注1)が、湯気のなかでいった、Tさんはものに感動すると肩が凝る人である。

(中略)下関(注2)・山口間の景色など、とくべついいものではない。むろん奇岩怪石(注3)が団々と横たわっているわけでなく、変哲もない田園と丘陵のなかを道が北上してゆくのみなのである。

しかし途中、出会う車はほとんどなく、例の擬石(注4)建造物もあまりなく、平凡な緑と空がつづいていた。平凡な緑と空というものが、いまや日本ではもっとも歎賞(注5)すべき絶景になっているのである。Tさんの肩の凝りは、そういう絶景への感動と無縁ではないらしい。

(中略)Tさんはこの松田屋の湯のなかで顔の筋肉をゆるめながら、不意に気づいたように、「これは温泉ですか」と、叫んだ。われわれが浸っている湯は、温泉であった。われわれがいま山口市の高名な温泉地である湯田の宿に泊まっている以上、この湯は温泉にちがいない。

「なるほど、温泉ですか」と、Tさんは、この浴室における大発見にすっかり ① 感動してしまい、ふたたび肩が凝りはじめたようであった。Tさんは、元来地理的教養の豊富な人なのである。山口市には湯田温泉というものが存在するということは知っているし、第、この宿の予約をとってくれたのはTさんなのである。しかしそれらはすべて知識であって、叩今只今Tさんの浸せた肉体を浸しこんでいるこの湯が温泉であるという心証的発見とはかかわりがない。肉体をもってこれが温泉であるということを知ったときに突如声を発するというのが、詩人なのであろう。

(司馬遼太郎『街道をゆく1甲州街道、長州路ほか』朝日新聞社による)

(注1)Tさんは詩人である。
(注2)山口県の下関市と口市の間。筆者とTさんは、福岡県の小倉市から下関市を経由し、山口巾に移動してさた。
(注3)奇岩怪石:奇妙な形をした珍しい岩々
(注4)擬石建造物:天然石に似せて作シた人造石の建造物
(注5)歎賞:優れたものとして感じ入ること
(注6)心証:心に受ける印象

29. Tさんは山口への移動中、なぜ肩が凝ったのか。

1. 変化のない田園風景が退屈だったから。

2. 車窓から見る景色が懐かしく見入っていたから。

3. 長く続く緑一色の景色に非常に感動したから。

4. 平凡な田舎の景色が貴重なものだと知ったから。

30. Tさんは何に ① 感動したのか。

1. 白分の肌が今、温泉に触れていること

2. 自分が今、高名な温泉地に来ていること

3. 著名な筆者とともに湯田温泉に来られたこと

4. 湯田温泉の湯の質が格別に良かったこと

31. 筆者は詩人とはどのような人だと考えているか。

1. 心動かされたことを素直に表現する人

2. 鋭い感覚と豊富な知識を持ち合わせている人

3. 身近な物事を普段からよく観察している人

4. 言葉で人を感動させることができる人

「負けたい」と思う人間はいない。ビジネスで競争相手を制してうれしくないわけがなく、議論に勝てば、気分が悪かろうはずがない。

だが、勝ちにこだわりすぎて、負けを恐れるのはどうか。たとえば仕事でも、勝ちにこだわりすぎると態度を明らかにできなくなる。自分が出した提案が却下されれば(注1)、負けになるため沈黙するしかないのだ。

勝ったり、負けたりしながら、よりいい仕事ができるのだし、人間関係も深まるのである。自分の提案が、反対意見をすり合わされることによって、すぐれた方針として結実する(注2)といったことはいくらでもある。反対意見が噴出を担ったのなら、これは「ほどほど」の勝ちというべきだろう。

(斉藤茂太「心をリセットしたいときに読む本』ぶんか社)

(注1)却下する:取り上げない

(注2)結実する:結果が出る

32. 筆者の考えとして正しいものはどれか。

1. ビジネス社会では競争相手に勝ったとしてもあまりうれしいものではない。

2. ビジネス社会てあれは、仕事上で必す勝つという気持ちも持つべきた。

3. 仕事上の議論で、反対意見を持たれたら、それはすなわち負けである。

4. 仕事上の議論で、反対意見が出たとしても、それは負けというわけではない。

ある医者から聞いた話だが、薬物依存の患者に、本物そっくりの薬を渡すと症状が落ち着くことがあるという。その後、「薬がなくても大丈夫」と説明すると、薬から離いっかんれるきっかけになるというのだ。これは治療の一環として行われるそうである。

こんなことができるのは、患者が、にせの薬を「本物の薬」と思いこむことで効果が現れる「プラセボ効果」が存在するからだ。

昔から、珍しい植物とか、動物の骨とかが難病に効くという話がよくある。成分からすると効くはずのないものが長く薬として使われた背景には、プラセボ効果があるとみられる。

33. 次のうち、プラセボ効果に相当するのはどれか

1. お守りがあると、テストでほんとうにいい点が取れることがある。

2. 乗り物酔いに効くと言われて梅干しをお茶に入れて飲んだら酔わなかった。

3. マラソンをしているとき、応援されると急に足が軽くなることがある。

4. 薬を飲まなくても食事を改善することで病気が治ることがある。

ある小学校の運動会で、競技は順位をつけないようにしよう、みんなで手をつないで走るようにしようという試みがありました。

足の遅い子や運動能力の低い子を人格的に否定するおそれがある。それがひいては差別やいじめにつながるおそれがある。というのがその理由のようです。

でも、何でもいっしょのなかよしクラブが本当の平等なのでしょうか。

(太田典生「人生をうるおすいい話」PHP研究所)

34. それ」は何を指しているか。

1. 順位をつけること

2. 手をつないで走ること

3. 足の遅い子を助けること

4. 何でもいっしょにすること

ある時、何かの企画をしていた私が、「こんな  ① いいかげんなことで大丈夫かなあ」とふともらしたら、そばで聞いていた友人が、「いいかげんじゃなくて、よいかげんなのよ、いいのよ、それで…」と言ってくれた。その言葉ですっと気が楽になったのを覚えている。

ちなみに手元にある辞書(広辞苑)を引いてみた。「いいかげん(好い加減)」は、
(1)よい程あい。適当。
(2)徹底しないこと。深く考えずに無責任なこと。
(3)(副詞的に)相当。かなり。
とある。

つまり、「いいかげん」は(2)の意味で使われた場合マイナスイメージになり、(1)の意味で使われた場合マイナスイメージは消える。

世の中の多くのことは、いいかげんなことをせず正確と緻密をモットーにしてがんばるからこそ成功するわけだが、 ② 生活のすみずみまでこの精神が浸透したら息苦しいに違いない

大切な部分はきちんと押さえるとしても、日々の暮らしの中ではちょっとしたずれや例外があることを十分認め、無責任でない程度に「好い加減」にものごとをできたら、もっと大らかな気持ちになれるだろ。そして、時にはこのように「いいかげん」なのではなくて「好い加減」なのだ、と自分にやさしくすることも ③ 必要ではないかと思った。言葉の使い方をちょっと変えるだけで、ふわりと気が楽になるということもあるのだ。

35. この発言で、①「いいかげん」とはどんな意味か。

1. 辞書の(1)の意味

2. 辞書の(2)の意味

3. 辞書の(3)の意味

4. 辞書には書かれていない意味

36. ②「生活のすみずみまでこの精神が浸透したら息苦しいに違いない」とはどういうことか。

1. いいかげんなことばかりしていると成功できずに苦しくなるということ

2. 深く考えずに無責任なことを続けていると周りの人が迷惑するということ

3. 成功を目指してひとつひとつ正確にこなしていくのは大変だということ

4. すべてのことをきちんとやろうとすると窮屈な感じがするということ

37. ③「必要ではないかと思った」と筆者が考える理由は何か。

1. 例外やずれもよくあることだと認めざるをえないから。

2. いいなげんというのは無責任と同じ味ではないから。

3. 自分にも他人にもやさしくしなければいけないから。

4. 気が楽になって大らかな気ちになるから。

ある有名なインタビューアーが、「いろんな人に会わなくちゃならなくて、たいへんですね。いい人、好きな人だけじゃなくて、いやな人、きらいな人もいるでしょうに」と言われて、「いいえ、はじめから好きな人、きらいな人、ということはありません。はじめは虚心(注1)でその人に会うようにしています。最低限、その人に好意と関心をもつようにして」と言っていたのが ① 印象的である。

私たちは、人づてに聞いたことや、会ったときの印象で、ある程度、相手の人がらを決めてしまいがちである。その人の容貌や服装やからだの特徴や、ことばづかいや動作や姿勢、さらにまた、職業や年齢や出身、経験、社会的地位などといったものからでも、どんな人か、何らかの先入主(注2)を抱く。

出会ったときの、自分側の条件や、その場面にもよるわけだが、そういうことを割り引いて、冷静に考える人はまれで、たいていは、自分のこれまでの体験から、あれはこういう人だ、というイメージをつくり上げる。過去の経験で似た人がいれば、その人の印象が重なってくる。意識的に払いのけようとしても、この第一印象は、強い影響をあとに残す。

結婚のための見合いのような場合、内心強い劣等感を持っていて、きらわれるのではないかという恐れを抱いていると、相手に対する見方にも、バイアス(かたより)が生ずる。畏怖(注3)して、相手が実物以上によく見えたり、逆に、反動的に、なにかにつけて、わるく、低く見ようとしたりする。

人生、はじめての出会いは、すべて、見合いみたいなものだが、② 身がまえてコチコチになっていると、相手の姿が正確に見えない。特に利害がからむと、バイアスがかかりやすく、かたよった先入主を抱きがちである。ずるそう、おっかなそう、きつそう……など。それは、多分に、③ 自分側の気持ちを、相手のイメージに投影しているのである。

身がまえることなく、フランクに、相手を受けいれることが、いかに難しいか。自己防衛的な身がまえは、相手に対して、ドアを閉じようとしている姿勢である。

ある有名なインタビューアーが言ったように、虚心坦懐(注4)、自分の心のドアを開け、人に接しようとする心がけが必要である。

パッと見た瞬間の印象にとらわれたり、こだわったりすると、人間関係は玄関先でギクシャクする。
(本明寛『自分を豊かにする心理学』による)

38. ①「印象的である」とあるが、何が印象的だったのか。

1. いろいろな人に会うのは大変だ、と言ったこと

2. いやな人、きらいな人もいる、と言ったこと

3. 人の好ききらいはない、と言ったこと

4. だれにでも初めは虚心で会う、と言ったこと

39. ②「身がまえてコチコチになっている」というのは、どういうことか。

1. 作り上げたイメージを払いのけようとしている様子

2. 相手がこわそうなので、びくびくしている様子

3. 相手に対して心を開かず、自分を守ろうとしている様子

4. 相手がもっている先入観をくずそうとしている様子

40. ③「自分側の気持ちを、相手のイメージに投影している」例として適当なものはどれか。

1. 自分に自信がないと、相手が自分をばかにしているように感じる。

2. 自分がさびしいときに相手が楽しそうにしていると腹が立つ。

3. 自信過剰な人を見ると、心配になり、注意したくなる。

4. 相手が自信がなさそうだと、自分に自信がわいてくる。

41. この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1. 先入観と第一印象は人を判断する時に大きく影響する。

2. 相手に対する先入観なしに自分の心を開くことが大切だ。

3. 第一印象は、その人を判断するのに、全く役にたたないものだ。

4. 人間関係は、まず相手のイメージを作りあげることから始まる。

ある本に次のように書かれていた。「このごろの若者で気に入らないことの一つは、とかく小さく固まりたがることだ。特定の仲間とだけつきあって、ややこしいことを避けたがる。これには、「他人に迷惑をかけない」という、奇妙な道徳が行きわたりすぎているのではないか。「他人に迷惑をかけない人間」というのを、やたらと持ちあげることに、ぼくは ① おおいに不満なのである

元来、人間が入りみだれて暮らすのに、他人にまったく迷惑をかけてないなんて、とても信じられない。むしろ、迷惑をかけあうことこそ、人間の社会性と言えるぐらいだ。それに、社会的弱者にとって、この『惑をかけるな』は ② 差別として作用することが多い。問題は、迷惑をかけていることに鈍感になるな、ということだろう。」(引用:森毅『ひとりで渡ればあぶなくない』ちくま文庫による)

私も ③「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられてきた。

実はこれは、互いに助け合って生活しているという前提があるからこそ言える言葉なのだ。人間関係が希薄な社会より感謝の気持ちを持ちながら迷惑をかけあえる社会のほうが、ずっと居心地がいい。

42. 何に対して ①「おおいに不満なのである」と言っているのか。

1. 若者が特定の仲間とだけつきあって、小さく固まりたがること

2. 他人に迷惑をかけないことがいいことだと思われていること

3. 他人に迷惑をかける人が多いということ

4. 人間が入りみだれて暮らすと、他人に迷惑をかけてしまうこと

43. ②「差別として作用する」例として、最も適当なものはどれか。

1. 電車の中でお年寄りに席を譲らないこと

2. 子供の学力に親の経済力が影響すること

3. 学歴がないと就職しにくいこと

4. 車いすの人は電車に乗らないほうがいいと思うこと

44. この場合の ③「人に迷惑をかけてはいけない」はどういう社会におけるものか。

1. 人に迷惑をかけるのは良くないという考え方の社会

2. お互いに迷惑をかけ合うことが普通の社会

3. お互いにあまり関係を持たないようにする社会

4. ややこしいことはなるべく避けようとする社会

うちの犬は頭がよくなけれどむやみに吠えない。これは犬種の性格である。もうひとつ、絶対に噛みつかない。これは訓練士に仕込まれた成果である。大きな犬なので幼児に噛みついたら事件になってしまう。

訓練士は二十代の女性でスクーターに乗ってやってきた。訓練時間は週に4回、各30分である。半年近く経っても訓練が終わらないので、「いつになったら卒業できるんですか」と訊ねた。「家庭内での序列がはっきりしたら」と説明する。序列ねえ、どういうことかな、とさらに質問すると、① お宅の坊ちゃんがまだ……。

十年前なので息子は小学生である。体格的にも犬と息子に差がない。うちの犬はまず僕、つぎに妻と気の強い娘に(注1)降参したのだ。だが息子は軟体動物のようにふにゃらふにゃらとしている。寝てばかりいる。起きてもあくびばかりしている。両者は最下位争いを演じたまま(注2)四つに組んで決着がつかないらしい。動物は序列に敏感なのだ。(中略)

女性の訓練士が説明した。犬をかわいがっているつもりで甘やかし、② 腕をがぶりと噛みつかれた飼い主がいた。甘やかせばつけ上がるだけ、自分が主人と信じ込んで飼い主をなめた結果である。動物はつねに威嚇しながら序列を確認しているから、仲間同士は本気で喧嘩をしない。相手が強い、とわかれば争わない。喧嘩したら互いに傷つき、厳しい自然界では生き残れないから。

さすがに血のめぐりの悪いわが家の犬も、ある日、息子にゴツンと頭を叩かれ、最下位が確定、平和的に棲み分けが決まり、予算オーバーの訓練は終了した。

動物から教訓を得たわけではないが、家庭内でもタテマエとしての序列がないと混乱がはじまる。親父の権威の喪失が取り返しのつかないところまできたのは(注3)家父長制を否定しすぎた結果でもある。戦前は長子相続で、次男以下は相続権がなく、女性にいたってはその他大勢の扱い、ひどいものだった。そういう状態を復活せよ、と述べているのではない。職場で女性がもっと管理職に進出できる環境は整えたほうがよいし、僕の経験からして共働きには賛成である。家事も分担したほうがよい。

③ だが男女平等をはきちがえてはいけない。家庭は動物の巣に似た面がある。権威としての父性、(注4)包容力の母性まで削り取ってはいけない。父親は筋肉質で髭をはやし、母親には柔らかな肌とやさしい笑顔があるように、それらしく演じ分けたほうがよい。頻発する家庭内暴力が役割構造の喪失と無縁ではないからである。

(猪瀬直樹『家』1999年9月26日付朝日新聞朝刊による)

(注1)降参する:負ける

(注2)四つに組む:しっかり向き合って闘うこと

(注3)家父長制:男性の年長者が家族を支配するという制度

(注4)包容力:相手を寛大な気持ちで受け止める力

45. お宅の坊ちゃんがまだとあるが、「まだ」の後に続く言葉はどれか。

1. 小学生で、犬の訓練が苦手ですから

2. 序列が犬より上になっていませんから

3. 小学生で、訓練が終わっていませんから

4. きょうだいの序列を理解していませんから

46. 腕をがぶりとか嚙みつかれた飼い主がいたとあるが、この犬はどうしてか嚙みついたか。

1. この犬は自分の方が飼い主より上だと思っていたから

2. 女性の訓練士に甘やかされて誰にでもか嚙みついていたから

3. 強い相手に挑まなければ厳しい自然界では生きられないから

4. この犬は飼い主と自分の序列はまだ定まっていないと思ったから

47. 男女平等をはきちがえてはいけないと言っているが、筆者は「はきちがえる」とどうなると考えているか。

1. 共働きが普通になり、父親が家事を分担するようになる。

2. 父親と母親の家庭内での役割が混乱し、問題が生まれる。

3. 職場で女性がもっと管理職に進出できるような環境になる。

4. 家父長制が復活して戦前の社会のように人が序列化される。

48. この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

1. 犬には訓練によって家庭内での序列を教え込むことが必要である。

2. 父親と母親の役割を明確にするために、家父長制を復活すベきである。

3. 家庭の問題を解決するためには動物と同じく序列化が必要である。

4. 親は家庭でそれぞれ父性や母性にもとづく役割を果たすべきである。

おとなは子どもに「嘘つきは泥棒の始まり」として正直であることを強要しますが、弱者は苦しい嘘をついても自らの尊厳を守ろうとします。論理的に正しいことを理性と呼ぶとすれば、理性的にあることができるのは強者だからです。強者はそれゆえに理性的に弱者の過ちを責めようとしますが、弱者の立場からいえば、それは何の意味も持たないことが多いのです。弱者のする謝罪とは、劣勢を一時的に解消する手続きや儀式にすぎないのです。

(吉田倫一「ヒトとサルのあいだ」———精神はいつ生まれたのか』文藝春秋による)

49. 筆者は、弱者をどのようにとらえているか。

1. 弱者は正直であることで自らの尊厳を守ろうとする。

2. 弱者は理性を持って自らの過ちをわびようとする。

3. 弱者は正論に頼って劣勢を解消しようとする。

4. 弱者は謝罪することで自らを守ろうとする。

お知らせ

文化活動支援のための助成金申請申込みの詳細をお知らせ致します。

★申請資格者:日本の伝統芸能の研究あるいは普及に努めている非営利の団体

★申請期間:2011年10月1日から31日(消印可能)

★申込み方法:申請書類はホームページより印刷し、必要事項を記入し、添付書類を同封の上、下記住所にお申し込みください。

★添付書類:団体の10年度を含む過去2年間の活動、会計報告書、及び次年度事業計画書。

50. 次のうち助成金を申請できるのはどれか。

1. バレー団の新規事業

2. 2010年から活動を開始した子供歌舞伎事業

3. 日本の祭りの保存事業を継続している会社

4. 長年日本の舞について研究し続けているグループ

かつては(制度)といえば、ほとんど、国家(法的国家)、地方自治体、政党、結社、学校、会社、組合などといった、明確に実定化(注)され、法制化されたもののことしか、考えられなかった。もともとそのような制度は、私たち人間が集団生活を営み、その集団が大きくなりそこでの人間関係が複雑化し間接化するに応じて形づくられたものである。つまり、そうしたなかで社会生活が合理的に運営されていくためには、社会関係そのものが合理化され、客観的に示されねばならなかったのだ。

(注)実定化:人間が作り出した法として定めること

51. 筆者は、制度とはどのようなものだと言っているか。

1. 制度とは、国家や地方自治体などを法制化したものである。

2. 制度とは、社会関係を合理化し、客観的に示すものである。

3. 制度とは、人間関係を複雑化し、間接化させたものである。

4. 制度とは、人間の集団生活を大きくするために作られたものである。

かなり能力のある人が何時まで経っても上昇気流に乗れず奇妙に不遇(注1)であるという場合が少くない。

そういう型は例外なく親友がいないのを特色とする。

深く語らえる友を見出すための努力を怠ったせいである。

通常、親友が出来るのは二十歳前後である。

その次には入社後三年以内である。

稀れには人生の辛酸を嘗めた(注2)熟年同士が意気投合する(注3)光景も見られる。

いずれにせよ友を求める気持ちの強い両者の幸運な出遭いである.

(注1)不遇:運がない

(注2)辛酸を嘗める:苦労を経験する

(注3)意気投合する:気が合う

52. この文章の内容と合っているものはどれか。

1. 親友をつくる努力をしなかった人は、能力があっても成功しないことが多い。

2. 能力があって、なおかつ親友ができるということは、幸運なことだ。

3. 能力のある人で、なおかつ親友がいれば、必ず出世できる。

4. 能力のある人でも不遇な場合があるのは、不思議なことだ。

これまでは、企業の社会貢献活動といえば、本業に関連のある教育機関への、または、福祉施設や慈善事業への企業が一括して行なう寄付という形態をとるものが多くみられた。

シンポジウムとか、いわゆる冠イベントの開催など、広告・宣伝活動の一環という位置づけのものも少なくなかった。

これに対して、近年の動きには、いくつかの新しい方向性が見られる。

結論から先にいえば、「社員の自主的参加」、「地域住民との共同作業」、「営業や広報・宣伝からの独立」を重視する方向性が出てきたということである。

53. 企業の社会貢献活動はどのように変わってきたか。

1. 教育機関などへの経済支援から、個人への経済支援へ

2. 企業に利益をもたらすものから、利益の有無は考えない方向へ

3. イベントの開催など経費のかかるものから、安上がりなものへ

4. 業務にメリットがある寄付から、将来性を重視したものへ

すでに地図の空白がなくなった現在、地理的な冒険や探検といった行為は、時間が経つにつれてどんどん、不可能になってきている。ジャーナリストの本多勝一氏は、冒険の条件として更「命の危険性」と「行為の主体性」の二つをあげているが、(近代の冒険は、その後置が重要なのだ)。

それはつまり自己表現の問題とも密接に関わっていく。ここでいう表現とは、地図上に誰もたどったことがない軌跡を描くという意味である。これまでの人類の歩みを俯瞰して、その隙間を見つけ、自分なりの方法で空白を埋めていく行為と言い換えることもできる。

わかりやすいところでは、登山におけるバリエーション・ルートや、8000メートル峰を無酸素で登ることや、厳冬期にどこそこを横断するとか、はじめて大陸の最高峰に全部登るとか、そういうことだ。未踏の地がなければ、点と点を結んで誰もおこなっていないことをすればいい。そうした点と点を結ぶのが厳しい土地、アクセスの難しい場所、思いもよらないルールを形成するなら、なおさらその注目度は増していく。

冒険の世界には、海でも山でも空でも、そういう志向が必ずどこかに存在している。白紙のキャンバスに絵を描くためには表現力が必要なように、地理的な空白がなくなった時代を生きる現代の冒険家たちは、そこに特別な自分なりの題材を見つけなくてはいけない。だからこそは冒険者はアーティストでもあるといえる。

54. 筆者は近代の冒険は、その後者が重要なのだと述べているが、それはどのような意味か。

1. 誰もが難関と感じる対象を探し、命をかけて挑戦することが重要だ。

2. 先駆者が偉業を成し遂げた場所に、新たな決意で挑戦することが重要だ。

3. 新たな冒険の対象を見いだし、独自の方法でそれに挑戦することが重要だ。

4. 誰も踏み入ったことのない場所に、独創的な方法で挑戦することが重要だ。

55. 地理的な空白がなくなったとはどういうことか。

1. 誰も考えつかないような冒険のルートがなかなった。

2. 自分なりの方法で冒険できる場所がなくなった。

3. 冒険に値するルートがすべて行き尽くされた。

4. 誰も冒険したことがない場所がなくなった。

56. 筆者が、冒険者はアーティストでもあると述べているのはなぜか。

1. 冒険者もアーティストのように創造性のある自己記表現が求められるから

2. 冒険者もアーティストのように表現力をつけることで注目度が増すから

3. 冒険者もアーティストのように自然と向き合って自己表現するから

4. 冒険者もアーティストのように主体的な表現が許されているから

ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に ① 心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです。

人間が悲しいと思ったときに心の中がどうなっているのかということは、ほんとうは言葉では表現できないものです。けれども、それを物語という器を使って言ようせん葉で表現しようとして挑戦し続けているのが小説なのです。

「主題は何でしょう、二十字以内で答えなさい」というようなテストがあったとして、その二十字がまず浮かんでくるのであれば、それは ② 小説として書かれる必要性を持っていないと思います。ですから、「テーマさえしっかりしていれば、いい小説が書ける」というのは幻想です。

テーマは後から読んだ人が勝手にそれぞれ感じたり、文芸評論家の方が論じてくださるものであって、③ 自ら書いた本人がプラカードに書いて掲持つものではないと考えております。

57. 心をはばたかせることができなくなると筆者が考えるのはなぜか。

1. 悲しいと思う人間の思いは深くてわかりにくいものだから。

2. 悲しいという一言は重すぎて当てはまらないこともあるから。

3. 悲しいという一言では人の本当の心を表せないものだから。

4. 悲しいと思う気持ちは小説では描ききれないものだから。

58. 小説として書かれる必要性を持っていないとはどういうことか。

1. 言葉では表現できないものは、物語としては成立するが、小説にする必要はないということ

2. 小説という大きな形態にするには、短くまとめられるようなテーマでは弱すぎるということ

3. しっかりしていても幻想的な主題では、人に伝えようと挑戦し続ける価値がないということ

4. 簡潔にまとめられるようなことは、小説という形態にしなくても人に伝えられるということ

59. 自ら書いた本人がプラカードに書いて掲げ持つものではないとはどういうことか。

1. テーマはしっかり持つべきものだが、小説の題として示すものではないということ

2. テーマは読者それぞれが感じ取るもので、作家がはっきりと押し出すものではないということ

3. テーマは評論家の議論を待って語るべきもので、最初から決めておくものではないということ

4. 小説にはいいテーマが必ずあるもので、掲げないと伝わらないようではいけないということ

もう40年以上も前のことだ。イタリアに行ってとてもびっくりした。

フィレンツェからローマまで乗った電車が5時間以上も遅れたのだが、それに対してお詫びの放送もなければ、怒り出す乗客もいなかったのだ。そして、ローマを発つ時、駅の時計を見てもっと驚いた。向こうのホームの時計とこちらのホームの時計とが1時間近くも違っていたのである。その時の電車も時間どおりには出発しなかった。

電車は時間どおりに動くものと思い込み、いつも時間に追われる生活をしていた私は、イタリア人のおおらかさに打たれた。これぐらいの余裕のある人生を、私も心がけたいものだ。

60. 上の文章によると、筆者のイタリアに対する感情はどれか。

1. 電車が時間どおりに動かないので、とても困る。

2. 時計が違った時間を示しているのは、不便だ。

3. 時間に厳しくないのは、ゆとりがあって良い。

4. 駅の放送もなく、日本より静かで良い。

わが国の文章の書き手として、想像・想像するという言葉をもっともよく使ったのは、おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具などに残る手がかりをつうじて、なつかしい(注1)こ古そう層へとたどるみんぞく民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。

柳田は、それと空想・空想するという言葉とを区別しようとした。その文章の執筆の時期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行なった空想・空想すると、想像・想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合がある。

しかし後の場合も、空想・空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像・想像するにいたるという、段階的なつながりにおいて――(注2)あい接し、境界がぼやけていることはあるにしても、その上辺と下辺では、ちがいがはっきりしている、という仕方で――使われている。

具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なうこ古そう層への心の動きを、空想・空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の働きを、想像・想像するとして、柳田は使いわけているのである。

そこで時には、やや、、とか、あきらかに、、、、、とかいう限定辞をかぶせねばならぬのではあるが、空想・空想するには、人間の心の働きとして、マイナス・消極的評価のしるし、、、がついており、想像・想像するは、プラス・積極的評価のしるし、、、がついている。

(大江健三郎『新しい文学のために』による)
(注1)こ古そう層:ここでは、古い時代
(注2)あい接し:互いに接し

61. 柳田が使う「空想・空想する」と「想像・想像する」にはどのような関係があると筆者は考えているか。

1. 互いに似ている部分があるが、「空想・空想する」から「想像・想像する」に変わることはない。

2. 全く異なるものであり、「空想・空想する」と「想像・想像する」との境界ははっきりしている。

3. 両極も境もぼやけていて、「空想・空想する」と「想像・想像する」との境界ははっきりしない。

4. 両極は明確だが境はぼやけていて、「空想・空想する」から「想像・想像する」に変わることがある。

62. 柳田が「空想・空想する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。

1. はっきりしないものをもとに古い時代を考えるとき

2. はっきりしたものを根拠に古い時代をたどるとき

3. 現代に残されている手がかりから過去をたどるとき

4. 過去の出来事を手がかりに現代を考えるとき

63. 柳田が「想像・想像する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。

1. 古い時代の民衆の心を伝えるとき

2. 人間の心の働きを積極的に評価するとき

3. あいまいなイメージをはっきりさせるとき

4. 明確な根拠にもとづく心の働きを表すとき

われわれ人間から見れば、カッコウの卵は、親らしからぬ、非常に愛情に欠けた行為に映ります。他種の鳥の巣に卵を置き、ひなに他の卵を蹴落とすことまでさせて、まんまと仮親に自分の子を育てさせるのですから、どうしても、怠け者、ひきょう者といったイメージで見てしまいます。

一方、托卵行為は、カッコウと托卵される側との長い攻防戦の産物でもあります。托卵先となった鳥たちは卵を見分けるなどの知恵を数十年かけて身につけます。カッコウもそれに応じて技術を磨いてきたのであり、ただ子育てを放棄し、あぐらをかいてきたというわけではないのです。

64. 筆者の説明と合っているものはどれか。 

1. 托卵される鳥とカッコウは双方に利点のある繁殖方法をとっている。

2. カッコウは、他の動物がするような無償の愛に基づいた子育てをしない。

3. カッコウは他の鳥に子育てをさせるが、人間が思うほど楽をしているばかりではない。

4. 鳥類は、巣の卵が他種の鳥の卵だと分かると子育てをやめるという習性を持つ。

アイデアを生む発想力というのは、遍在する膨大な記憶を徹底的に「検索」し、適したものを意識の表面に浮かび上がらせる力ではないかと思う。その力は ① 筋肉と同じで鍛え続け退化する。

そして発想力を鍛え、維持するためには、他の誰よりも「長い時間集中して考え抜く」という、ミもフタもないやり方しかない。

だがおそらく考えている間はアイデアは生まれてこない。脳が悲鳴を上げるまで考え抜いて、ふっとその課題から離れたときに、湖底から小さな泡が上がってくるように、アイデアの核が浮き上がってくる。

つまりアイデアというものは常に直感的に浮かび上がる。しかし直感は、「長い間集中して考え抜くこと」、すなわち果てしない思考の延長上でしか ② 機能してくれない

65. 筋肉と同じと筆者が考える理由は何か。

1. 鍛えた力でアイデアを意識の表面に浮かび上がらせるものだから。

2. 膨大な範囲にわたって鍛えることが必要だから。

3. 考え抜く努力を続けないと衰えてしまうものだから。

4. アイデアを生むということはスポーツと同じだから。

66. 筆者はアイデアはどのようにして生まれてくると考えているか。

1. 筋肉痛になるほどスポーツした後で休むときにひらめく。

2. 泡のように小さなものに注意を向けることで生まれる。

3. 大自然の中でリラックスすることで生まれてくる。

4. 限界まで考えた後、そこから離れたときに突然ひらめく。

67. 機能してくれないとは、この場合どういうことか。

1. アイデアを生み出す器官が故障している。

2. アイデアを想像することもできない。

3. アイデアを生み出す力が動き出さない。

4. アイデアが浮かぶまで時間がかかる。

イジメの問題は、おそらく現代の教育の最大の問題であって、「落ちこぼれ」や「暴力」と重なることもあるにしても、それ以上に重要な問題としてある。イジメは昔からあったにしても、学校社会と子ども社会が二重であったころには、先生に受け入れられる子が仲間からいじめられたりして、それなりのバランスがあった。このごろではイジメラレっ子は、学校社会からのハミダシであって、先生のほうが内心で暗黙(注1)の了解をしているケースがよくある。「いじめられる側にもそれだけの理由がある」との言が、しばしば教師から語られることは、その背景で理解すべきだろう。これは、おとなの社会の反映、もしくは先どりとしてある。これからの社会で、ハミダシをいじめることが進めば、学校以上に陰惨な(注2)人間社会が生まれるだろう。この意味でも、イジメの問題は現代の教育にとって重要性を持っている。

(森毅「生きていくのはアンタ自身よ」PHP研究所)

(注1)暗黙:考えを表に出さないこと
(注2)陰惨な:暗く悲惨な

68. 文章の内容と最も合っているものはどれか。

1. イジメは昔からあったが、今のイジメと同じようなものであった。

2. 今のイジメは子ども社会の中で起こっており、バランスが取れている。

3. 今の先生はいじめられる側ではなく、いじめる側に責任があると考えている。

4. 今の学校社会で行われているイジメはいずれ、社会全体に悪影響を与える。

チンパンジーは、さまざまなあいさつの仕方を持っている。おじぎ。握手、抱擁、ひれ伏す、肩を叩く、軽く相手にさわる。それにキスさえする。ゴリラは深いおじぎをするが、その他のあいさつ行動は貧弱である。

なぜ  ① チンパンジーにだけあいさつ行動が豊富なのか。その理由は彼らの特殊な社会構造に求められる。

チンパンジーの集団は、ニホンザル(注1)の群れと同じく、複数の雄と複数の雌による20〜100頭の集団である。ニホンザルの群れは閉鎖的(で、)青年以上の個体が群れから遠く離れて4、5日も行動したりすると、群れに戻りにくくなる。特に雄は、まず復帰できず、よそ者とみなされて追い出されてしまう。

ところが、チンパンジー社会は、メンバーの離合集散が日常的に行われる社会で、若い雄と雌が仲良く旅行に出かけて行きた、1か月もたってから帰ってくるといったこともある。そうしたとき、帰ってきた連中は集団の仲間にあいさつをする。そうすると、ごくスムーズに集団に入れてもらえる。

このように、時間的空間的に離れていたための距離感。疎遠感をあいさつによって消し去り、もとの社会関係を回復することができるのである。チンパンジー社会では、個体の行動の自由度が大きく保障されているが、あいさつはそれを可能にするための行動なのである。

このことは、われわれ人間のあいさつ行動に照らしてみると、よく理解できる。なぜ、いつ、われわれはあいさつをするのか。 ③ それは、日常的には、相互に時間的空間的に離れている場合に限られている。

2、3日出張して職場に戻ったとき、仲間にあいさつする。あるいは、家族の間でも夜寝る前に「おやすみ」と言い、朝起きると「おはよう」とあいさつする。

眠るという行為は、相互の認知空間の遮断である。つまり、眠っている間は、人と人の関係は断たれている。どうやら、人間関係というものは、いかに深い間柄でも、わずか一夜の隔たりがあると薄められてしまうものらしい。

あいさつという行動は、薄められた関係をもとの濃度に還元する作用を持つものなのだ。つまり、あいさつは、薄められた個体関係の間に、相互の心の通い合うチャンネルを作る行為なのである。

(河合雅雄。「子どもと自然」岩波書店による)


(注1)ニホンザル:日本特産種の猿

69. ①「チンパンジーにだけあいさつ行動が豊富」なのはなぜか。

1. チンパンジー社会は、メンバー間の関係が薄く、開放的な反面よくメンバー同士の対立が起きるから。

2. チンパンジー社会は、雄と雌の関係が自由なため、メンバーの離合集散がよく行われるから。

3. チンパンジー社会では、あいさつの行動に社会関係を回復し、個体の自由度を保障する機能があるから。

4. チンパンジーは、時間的空間的感覚が発達しており、相手のあいさつ行動に対して敏感であるから。

70. ②「ニホンザルの群れは閉鎖的」とあるがどういうことか。

1. あいさつの行動が貧弱であるということ

2. 雄と雌の関係が自由でないということ

3. 集団が小さく、活動的でないということ

4. よそ者を群れに入れないということ

71. ③「それ」は何を指しているか。

1. 離れていたときの距離感や疎遠感

2. チンパンジーと人間のあいさつ

3. あいさつ行動をよく理解すること

4. 人間がいつあいさつをするのか

72. この文章からわかる「あいさつ行動」の機能はどんなことか。

1. あいさつすることで、職場や家庭での規則正しい生活を維持することができる。

2. あいさつすることで、相互の関係をちょうど良い距離に保つことができる。

3. 薄められた関係を、あいさつすることでもとの関係にもどすことができる。

4. あいさつによって相互の関係を遮断し、適当に調整することができる。

ハチドリという鳥を知っているだろうか。鳥のうちでいちばん小さく、体長わずか3センチという昆虫のような種類さえある。小さな巣を作って、豆粒ぐらいの卵を産み、花の蜜を食物にしている。小さな翼をプーンと震わせ、飛びながら花の蜜を吸うハチドリを初めて見た人は、なにか童話の世界にいるような気がするに違いない。でも、この鳥はこの現実の世界に生きている。

こんな小さな鳥が生きるということはそれ自体が不思議である。なぜなら、こんな小さな鳥は生きていられるはずがないからである。鳥は我々と同じく、温血動物つまり恒温動物である。体温は外気と関係なく一定に保たれている。それが保てなくなったら、人間が凍死するのと同じように死んでしまう。ところが、体がこんなに小さいと、体積にくらべて体の表面積が著しく大きくなる。つまり、体温を保つのに必要な熱を発生する体の大きさの割に、熱が逃げて行く表面積が大き過ぎるのである。そこで、ハチドリが生きていくのに込要な体温を保つには、体の表面から逃げていく熱を絶えず補っていなくてはならない。そうでないと体温はたちまち下がってしまう。ハチドリは熱帯にいるから、そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。

しかし、実際に  ② ハチドリの「経営状態」、つまり食べたもの(収入)と体温維持のための熱発生(支出)の関係を調べてみると、入るそばから支出されて行き、何とか収支が合うようにできていることがわかる。収入が断たれたら、数時間のうちに倒産してしまう。つまり、食べるのをやめたら、たちまち熱発生も止まり、体温が降下して、凍死してしまうのである。

ハチドリも夜は木の枝にとまって眠らなければならない。毎日12時間近く食べずに過ごすわけである。本来なら、この間にエネルギーの蓄えが尽き、体温降下と凍死を招くはずである。にもかかわらずハチドリは、何万年もの間ちゃんと生きている。なぜか。それは、彼らが毎晩、冬眠するからである。熱帯の夜はけっして暑くない。気温は20度を割ることさえある。ハチドリは夜が来ると、温血動物であることをやめる。体温調節をやめて、爬虫類のような冷血動物になってしまうのだ。体温は一気に気温のレベルにまで下がる。呼吸もごくわずかになり、筋肉も動かなくなる。だから、夜、眠っているハチドリはかんたんに手で捕まえられるそうである。

そして、朝が来て気温が上がると、ハチドリの体温も上がる。体温が一定の温度を超すと、ハチドリは目覚め、恒温動物となって、花の蜜を求め、飛び立つのである。

そんなわけで、この宝石のように美しいハチドリは、一年中長雨の降らない、昼は一年中気温が高くしかも夜はかなり冷える土地、主に中南米の一部にしか住めないことになる。もし、中南米の気候が変わって、雨が多くなるか、冬ができるか、夜も暑くなるかしたら、そのどの一つの変化はろによってもハチドリは滅びるだろう。その誕生とともに持って生まれた遺伝的仕組みと環境とが矛盾するからである。

(日高敏隆「人間についての寓話」平凡杜による)

73. ①「こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である」のは、なぜか。

1. ハチドリを初めて見た人は、童話の世界にいるような気がするから。

2. ハチドリは鳥のうちでいちばん小さく、まるで昆虫のように見えるから

3. ハチドリの体は体積に比べ表面積が大きく、体温を保てないはずだから

4. ハチドリは熱帯にすんでいるにもかかわらず、体温の低い動物だから

74. ハチドリの「経営状態」 とは、どういう状態か。

1. ぎりぎり維持している状態

2. 収入より支出の多い赤字状態

3. 収入が絶たれた状態

4. 非常に余裕のある状態

75. ③「そんなわけ」とは、どういうことか。

1. ハチドリは、熱帯に咲く花の蜜を食物にして生きているということ

2. 眠っている間のハチドリは、かんたんに手で捕まえられるということ

3. ハチドリも夜間は木の枝にとまって眠らなければならないということ

4. ハチドリは日中は温血動物だが、睡眠中は冷血動物になるということ

76. この文章から、ハチドリについてわかることはどんなことか。

1. ハチドリは、宝石のような美しさを持っているが、その小さな生命を維持するため多くの犠牲をはらい続けなければならない。

2. ハチドリは、体の遺伝的仕組みと生息している土地の環境が適合しているため、何万年もの長い間生き残ることができた。

3. ハチドリは、夜、眠っている間ならかんたんに捕まえられるから、本来なら現在まで生きていられるはずがない鳥である。

4. ハチドリは、生きていくのに必要な熱を発生する体より、熱が逃げる表面積の方が大きいため、長い間生きることができない。

世界の産業用ロボットの3分の2が日本で作られ、3分の1が日本で稼働している。他の国に比べてロボットが多いのは、ヨーロッパのようにロボットを仕事を奪う物だと敵視せず、むしろ手伝ってくれるいい物だとの意識が強かったからかもしれない。

日本人は昔から珍しい物が好きで、江戸時代(1603年~1867年)には世界最初のロボットと言われている茶運び人形を始め様々なからくり人形が作られた。人形が逆立ちしたり、文字を書いたり、弓を射たり、小鳥がおみくじを運んできたり、その技術力の高さには驚かされる。それらは今でも残っていて日本各地の祭りで人々の目を楽しませている。楽器を演奏するエンターテイメントロボットの ① ルーツがそこに窺われる。

また漫画家手塚治虫の「鉄腕アトム」の影響もある。アトムは常に人間の味方であり人間を助けてくれる存在だからだ。アトムのようなロボットを作りたいというのは研究者たちの夢だと思う。

残念ながら、自分で判断して何でもできるロボットはまだ開発されていない。しかし、判断という点では掃除ロボットや介護ロボットは優秀だ。掃除ロボットは人が前に立ったりぶつかったりすると状況を判断して一時停止する。介護ロボットもセンサーで安全が保たれるように作られている。

業務用あるいは家庭用ロボットは人件費が高い日本では強力な助っ人として益々需要が増えるだろう。多くの掃除ロボットは最近まで高額だったので一般家庭では使われていなかった。しかし、格安掃除ロボットが売り出されその人気に火がついた。性能もよかったので1日に何億円と売れたこともあるそうだ。何年もしないうちにほとんどの家で使われるようになるだろう。

日本の家庭用や業務上使用される介護用ロボットの市場は2008年には約34億円だったそうだが、数年で4~5倍に拡大するという予想もある。特に家庭用ロボットは低価格になれば急速に普及するに間違いない。だから何でもできる多機能ロボットより単機能でも低価格のロボットの開発が望まれる。必要な部分だけロボットに助けてもらえばいいからだ。高齢化社会を迎えて介護ロボットの開発は今一番期待されている。介護の手助けロボットが開発されれば介護する人にも介護される人にとってもありがたいことだ。人間に役立つ様々なロボットの開発が望まれる。

77. 最後にどの文を入れたらいいか。

1. ロボットは人間の代わりになれるものだと思うからである。

2. ロボットは人間の生活を豊かにするためのものだと思うからである。

3. ロボットは人間ができないことをするためのものだと思うからである。

4. ロボットは人間の役に立つものだと思うからである。

78. からくり人形がどうして ① ルーツになるのか。

1. 驚くほど技術が優れていたから

2. 日本各地の祭りで使われているから

3. 日本全国に様々な物が残っているから

4. 人を楽しませるための物だったから

79. 家事ロボットの普及に最も関係が深いことは何か。

1. いろいろなロボットがあるなら普及する。

2. 役に立つなら普及する。

3. 安ければ普及する。

4. 多機能であれば普及する。

80. 著者のロボットに対する意見はどれか。

1. 人間のように判断できるロボットを目指すべきである。

2. 様々なロボットの開発を進めるべきだ。

3. 家庭用ロボットが普及するのは必然である。

4. アトムのようなロポットを作るべきだ。

世界の食糧供給の頭打ち、かつての日本と同じように、経済成長のために農業を衰退させ、一方では食生活の向上を図るアジアの動きなど、私たちが暮らしている輸入大国の基盤は意外に脆い。

私たちは、このへんで食料の危機管理体制を考えておく必要があるのではないか。

危機管理とは、いったんことが起きた時に、生産から流通までをどうするか、前もって体制作りを考えておくことである。体制を制度にしておかないと、食糧確保のためのある程度強制力を持った政策を実施することなど不可能である。畑にはイモ類を優先的植えなければならない。個人的に嫌だという人もいても、国民が最小限の栄養をとるために協力してもらう必要がある。この点を制度化しておく方が良いのではないか、ということである。平和な時には、この制度は眠らせておけばいい。いざという時に政府が発動するのである。普段は、政府はなるべく食料の生産や流通には介入すべきではない。それぞれの立場の人たちが、自由に活動できるような環境を整えておく役割だけでいい。しかし何かの時には食糧管理に責任を持つ仕組みに移行のである。多くの場合は、異常事態が過ぎ去るまでの一時的な措置になるだろう。

81. このへんで食料の危機管理体制を考えておく必要があるとあるが、なぜか。

1. 今すぐ食料を確保し国民一人一人の生活を守らなければならないから

2. アジアを中心としで食料の生産や流通に非常事態が起きているから

3. 食糧の確保が今後すます難しくなることが予想されるから

4. 食料輸出国の危機管理体制が確固としたものではないから

82. 体制を制度にしてとあるが、どうすることか。

1. 生産から流通までの体制を考える。

2. 国民が活動できるような体制を整える。

3. 政府主導で実施できるような仕組みを作る。

4. 生産や流通に国民が責任を持つ仕組みを作る。

83. 政府が検討すべき食糧の危機管理体制について、筆者の考えに合うものはどれか。

1. 必要が生じたときには、国民の同意を得て実施するべきだ。

2. 今すぐ実施した方が良いので、速やかに制度化するべきだ。

3. 平常時は実施する必要はないが、制度自体は早く整えるべきだ。

4. 平和な時にかぎらず、国民が自由に活動できる環境を整えるべき。

中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割の人が、就職後3年以内に会社を辞めてしまうそうだ。いわゆる「七五三問題」である。

最近は就職氷河期が読いており、転職も難しく、今後もなかなか景気の回復は望めないからこの数値は少し下がる可龍性があるが、予断を許さない。なぜ若者は簡単に会社を辞めるのか。

企業から言わせると最近の若音は我慢が足りない、若耆から言うとつまらなくて希望のない仕事は早ㄑ見切りをつけたほうがいいと言うことになる。昔から新入社員は我慢を強いれるつまらない仕事を宛がわれていた。それでも辞めなかったのは、今はつまらない仕事ばかリで給料も低いけれど、将来は責任がある仕事を任せて貰えるし給料が上がる希望があったからだ。

今は先が見えないので、つまらない仕事を読けた果てにリストラでもされたらと考えるのかもしれない。しかしこの転職、余程実力があったりキャリアアップのためなら別だが、単に仕事が面白くないという理由なら反対だ。何度転職しても同じ結果に陥るからだ。

また企業にとっても新卒の採用には費用がかかるので簡単に辞められては大損失だ。お互いのためにならない。宇生は自分身の価値観や志望動機を確立するペキだ。その上で特別な時以外3年間ぐらいは働きながら将来を考えてみるべきだと思う。

84. 就職氷河期が続くと、どうして数値が下がるのか。

1. 学生がどこでもいいから就職しようとするから

2. いい仕事がなくなるから

3. 現状は満足するようになるから

4. 転職も難しくなるから

85. 七五三問題」の原因でないのは何か。

1. リストラされる

2. 将来性がないと考える

3. 忍耐力の不足

4. 仕事の内容が面白くない

86. 著者の短期の退職に対する考えはどれか。

1. どんな場合も短期の退職はよくない。

2. 自分のレベルを上げるための退職はいい。

3. 3年間は辞めては駄目だ。

4. 向上心がある人は辞めたほうがいい。

交通信号の赤を見ると、私たちは止まらなければなりません。青を見ると、進めという意味に理解します。もしそのときに、赤信号が、「止まれ。」という意味以外に何が私たちの感覚や感情を刺激するものを表すなら、事故が起きてしまいます。ですから、信号に対しては、否応なしに「一か、ゼロか」、あるいは「Aか非Aか」というデジタルな捉え方をしなければなりません。さもなければ秩序が乱れてしまいます。

このように、日常生活においては、① コトバが信号化することは確かなことです。たとえば私が、「コップをください」と言ったときに、皿が来たら困るわけですから、「コップ」という語はとにかくコップという物を指す記号であり、「皿」という語は皿を指す記号であるわけです。

しかし同時に、私たちは、経験的に  ② そうではないコトバがあることを知っているのではないかと思うのです。つまり、舞台で演じる人の表情や動作、音楽とか絵画とかと同じように、聞くたびに読むたびに、そのつど新しい意味を与えられる、そういうコトバのことです。

あるときは人のコトバに感動し、またあるときは激しく傷つけられる。こういう二度と味わえない体験を引き起こすコトバがある。そこに込められた複雑な感情を私たちは、そのコトバのイントネーションや声の調子などから感じ取ります。これは非常に重要なことです。文学や哲学の作品に、私たちが体験の一回性を読み取るのは、そういうコトバで書かれているからにほかならないのです。

(丸山圭三郎『フェティシズムと快楽』紀伊國屋書店による)

87. ①「コトバが信号化する」とあるが、どういうことか。

1. 信号が人間の感覚や感情を刺激すること

2. 信号にはデジタルな対応が求められること

3. 言葉を一つの意味だけに限定して使うこと

4. 言葉が信号のように事故を防いでいること

88. ②「そうではないコトバ」とは、何のことか。

1. ひとつの物だけを指す言葉

2. いろいろな意味がある言葉

3. 意味を持っていない言葉

4. 感情が込められた言葉

89. この文章で筆者が言いたいことはどういうことか。

1. 言葉は一度しか聞くことができないから、相手の話し方に注意することが大切だ。

2. 言葉には記号的な面だけでなく、芸術的な面もあるのを知ることは重要なことだ。

3. 生活の秩序を乱さないためには、一つの言葉にいろいろな意味があるのはよくない。

4. 日常生活のなかで記号化してしまった言葉を、芸術的な言葉に変えていくべきだ。

人はなぜ働くのか。誰もが自問するはずだ。働くことで自分の人生をより豊かにし、かつ会社貢献をするためにそう考える人は多いだろう。

だが、私は労働とはまず、生活の糧を得るための行為であると考える。いくら人生を豊かに、会社貢献を望んでも、雨露をしのぐことができず、その日の糧にありつけなければ、それは実現しない。

まずは自分の生活を不足のないものにするための対価として、労働をする。家族と食卓を囲んだり、好きなことに打ち込んだりする時間が持てるようになれるのは、この対価の積み重ねによる。これが、私の考える働くことの意義である。

90. 筆者の考える働くことの意義と合うのはどれか。

1. 働くことを通して、自分の人生を豊かにし、社会貢献をする

2. 労働はお金のためであって、人生を豊かにしたり、社会貢献をしたりするためではない

3. 自分の生活基盤を整えるのに必要なお金を得るために働く

4. 家族や趣味など、自分が大切にしているものにお金を使いたいから働く

人はなぜ歴史を学ぶのか、直接役に立つわけでもない、過ぎさった時代のことを、なぜ知りたがるのか。ずいぶんと素朴な問いですが、こう聞かれてすぐに何らかの答えを言える人は、そう多くはないのではないでしょうか。

本屋に行ってみると、歴史関係の本はたくさんあふれています。しかし、あたりまえのような話ですが、それらの歴史の本は現代の人間が書いたものだ、ということを最初に述べておきましょう。

私たちは、① 歴史は歴史であって現代のものではない、と考えがちです。たしかに、古墳(注1)から出た石器(注2)とか、数百年前の古文書とかは、現代のものではありません。

しかし、私たちが歴史と呼んでいるのは、そうした史料そのものではなくて、それを材料にして現代の人間が書いたもののほうなのです。

石器や古墳は、② そのままではただの石のかけら、地面のでこぼこにすぎません。江戸時代にも石器はみつかっていましたが、多くの人は神仏や天狗のつくったものとみなして、歴史とは結びつけませんでした。

史料そのものではなく、それを現代の人間が与えた意味が、「歴史」になるのです。つまり、③ 歴史とは、現代のものなのです。そしてそれは、現代に生きる人間によって書かれ、現代の必要にしたがって受け入れられてゆきます。

(注1)古墳:古代の墓
(注2)石器:古代に石で作られた道具

91. 歴史は歴史であって現代のものではないと考える人が多い理由は何か。

1. 歴史は過ぎ去った時代のことだから。

2. 歴史を学んでも何の役にも立たないから。

3. 歴史は書物の中にしか存在しないから。

4. 歴史が客観的な資料に基づいていないから。

92. そのままではとあるが、どういうことか。

1. 本物と偽物が混じったままでは

2. 大切に保管しなければ

3. 勝手な解釈が行われるようでは

4. 歴史的な意味がわからなければ

93. 歴史とは、現代のものなのですとあるが、どういうことか。

1. 過去の出来事を現代人が勝手にねじ曲げて解釈してきたのが歴史だ。

2. 現在起こっているさまざまな出来事も、いずれ歴史の一部になる。

3. 過去にあったさまざまな歴史的事実が、現代社会の基礎を作っている。

4. 過去の事物が歴史として意味を持つためには、現代との結びつきが不可欠だ。

人は生まれ育った環境こそが自然だと感じるもので、成長したあとに現れた新しい技術には違和感を抱くものである。

例えば、新幹線は東京・大阪問を8時間から3時間に縮めた。これに対して当初は、あまり早すぎるのもよくない、旅はもっとのんびりするものだ、という批判が起きた。

しかし、江戸時代の人に言わせてみれば、東京と大阪は15日かけて歩くのが普通だと言うだろう。

我々は新しい科学技術に対して最初は衝撃を覚え拒否するが、時間が過ぎると、それがあたかも昔からあったかのごとくに使いこなし受け入れていく。 ① それが人間であるゆえんなのだ。

94. ①「それ」は何を指しているか。

1. 人は生まれ育った環境こそが自然だと感じるものだということ

2. 人は新たな技術に対して、違和感を抱くものであるということ

3. 人が新たな技術と古くからの伝統を使い分ける存在だということ

4. 人は新しい技術でも、次第に慣れていくことができるということ

人的資源としての国民の健康管理をめざす国家にとっては悪であろうが、個人にとっては現世的快楽に身をゆだねることもひとつの生きかたである。「生きるために食べる」という立場ではなく、かつての手段とされていたものが目的化して、「食べるために生きる」人間も出現しているのである。快楽を肯定して早死にするか、節制して長生きをするかは個人の哲学の問題である、医学や栄養学のおよばぬ領域であるかもしれない。そのさい、自分の生きかたをきめる個人が無知あってはならないであろう

(中略)

わが国の栄養士は国家のさだめた栄養指導者である。そのおもな役割は、学校や病院など集団給食の場における栄養管理にある。集団を対象としているので平均値としての栄養管理であり、食物にたいする個人的な差異は無視されがちである。しかし、それを食べる個人は、身体的差異をもち、文化的に形成された食物にたいする独自の価値観-たとえば嗜好など-を別にする人びとである。ながいあいだ、近隣の家族のかかりつけの医師として活動してきたホームドクターは、患者の職業、家族構成、体質、病歴、経済状態などを熟知したうえで、疾患の処置をしたり、健康維持のためのアドバイスをおこなう。それとおなじように、これからの栄養学にもとめられるのは、集団ではなく、個人を対象としたコンサルタントである。

(注1)現世: 今、生きている世界

(注2)嗜好: 飲食べ物について好み

95. 筆者は、「食べるために生きる」人間の生きかたはどのようなものだと述べているか。

1. 国家に生きかたを管理されることを拒む

2. 長生きよりも目の前の快楽を選ぶ

3. 健康に良い食生活に強いこだわりを持つ

4. 心身ともに健康であることを重視する

96. 無知であってはならないであろう)とは、どういう意味か。

1. 自分の食生活を支える知識を持っていなければならない

2. 何のために生きるかを理解していないのはよくない

3. 節制や健康的な暮らし方に消極的であってはならない

4. 国や栄養士に状況を把握しておいてもらうのがよい

97. ホームドクターの例をあげることによって、筆者はどんな意見を述べているか。

1. 栄養士は、身体や食の価値観の個人差ではなく、病歴や経済状況を踏まえて栄養管理をすべきだ。

2. 集団を対象とした栄養管理と、個人を対象とした栄養管理とで、専門職を分けたほうがいい。

3. かかりつけの医師が減ったので、栄養士は集団を対象とした栄養管理をより徹底したほうがいい。

4. 今後は家族や個人の個別の事情を加味しながら相談にのってくれる栄養士が必要だ。

人間の肉体は、① 自然の環境変化に対しては、かなり高度の適応を示す

しかし、② 人工的な環境変化に対しては、適応力が格段に落ちる

たとえば、鉄分は血液中のヘモグロビンの生成のために不可欠の物質である。鉄分の摂取が足りないと貧血になる。この鉄分が過剰に摂取されると、不必要な分は自動的に体外に排出されてしまう。人体の鉄分の吸収能力を調査してみると、個人によって、また、同一人物でも日によって、吸収能力が変化することが分かった。つまり、体内の鉄分の量が増加すれば吸収能力は減り、鉄分が減れば吸収能力が増すというシステムになっているのだ。

もし、水銀やカドミウムについても、これと同じような過剰摂取に対する適応システムが人体に備わっていれば、これらの人体に有害な物質によって発生した水俣病やイタイイタイ病などの公害問題は起こらずに済んだだろう。

なぜ、人間の肉体は、鉄分の過剰摂取に対しては自己を防衛することができても、水銀やカドミウムに対しては防衛できないのか?

それは、鉄分がほとんどあらゆる食物に含まれていて、つねに人体に入ってくることが予想されているのに対して、水銀やカドミウムは、自然状態の人間には入ってくるはずがないものだからである。

責められるべきなのは、(A)ではなく、(B)なのである。

(立花隆「文明の逆説」講談社による)

98. ①「自然の環境変化に対しては、かなり高度の適応を示す」例として正しいものはどれか。

1. 血液中のヘモグロビンが不足すると貧血になってしまうこと

2. 鉄分が過剰摂取されると自動的に血液が体外へ排出されること

3. 体内の鉄分の量によって鉄分の吸収能力が変化すること

4. 鉄分はつねに人体に入ってくることが予想されること

99. ②「人工的な環境変化に対しては、適応力が格段に落ちる」例として正しいものはどれか。

1. 人体が水銀やカドミウムの過剰摂取を防衛できないこと

2. 人体に鉄分の過剰摂取に対する適応システムがあること

3. 毎日、鉄分を十分に摂取しないと貧血になってしまうこと

4. 水銀やカドミウムは自然状態の人間には入ってこないこと

100. ( A )と( B )に入る最も適当な言葉はどれか。

1. A:肉体の適応能力を無視した文明 B:文明に適応できない肉体

2. A:文明に適応できない肉体    B: 肉体の適応能力を無視した文明

3. A:肉体に適応できない自然    B: 自然の適応能力を無視した肉体

4. A:自然の適応能力を無視した肉体 B: 肉体に適応できない自然